2004年10月20日

公共サービスを変える「地域市民のテスト」を

「納税者の主体的な選択」により、「公共サービスの競争」を進めていくために
坂本忠弘

(ともに問われる「当事者意識」)
 税金の使いみちを市民の手で決めたい。埼玉県志木市では、市民税の1%相当額の使途を住民の意見を反映して決定する「住民自治基金」制度が、千葉県市川市では、NPOへの補助金の配分を納税者の意向を尊重して決定する「市民活動支援」制度が、それぞれ検討されている。また、寄付というツールを用いて、頑張る地方自治体のユニークな施策を応援する「寄付による投票」という条例を制定する動きも、北海道ニセコ町などを始めとして広がっている。
 日本の財政の現状は、家計に例えれば、年収646万円の家庭(14年度の全国勤労者世帯平均)が、6800万円のローンを抱えながら、自らの生活費と地方への仕送りのために、毎年新たに270万円の借金を重ねている。財政危機といいながら、行政の当事者意識は、担当する予算は増やせば増やすほどよいものとして、予算獲得競争に勤しむ、計上された予算は余すと意味のない仕事を担当していると見られるから、無理をしてでもとにかく使い切る。一方、市民の当事者意識は、「お任せ民主主義」で、既得権益を守ろうとする一部の者を除いて、主体的に公共施策に関わってこなかった。このような行政そして市民の双方の当事者意識が、ともに問われている。


(「当事者意識」を変える市民の選択)
 志木市やニセコ町での動きは、一人ひとりの意思表示がはっきりしたかたちで公共施策に反映される仕組みをつくるものである。「どうせ何を言っても行政も政治も変わらない」という現状の認識を揺り動かし、「声をあげれば自分たちで公共施策を決めることができる」という、「バイ・ザ・ピープル」の一歩を踏み出す契機となるものである。
 これらは、財政の分野に直接民主主義の手法を持ち込もうというものである。公共施策の決定全体の中でバランスのとれた直接民主主義を一部持ち込み、主体的な市民の意思表示を求める。市民の選択にさらされることで、行政の当事者意識も変わるのではないか。

(政府が検討する「市場化テスト」)
 このように、行政と市民の双方の当事者意識を変え、公共サービスのあり方を変えていくことが問われている。「官から民へ」の流れの中で、公共サービスを民間開放する、官民競争入札の枠組み、「市場化テスト」を持ち込もうという試みもある。17年度に国でパイロット事業を行い、制度設計した上で、18年度から地方自治体を含めて本格実施することが検討されている。
その背景には、行政は、画一的で融通が利かず多様なニーズに上手く対応できていない、おまけに非効率でコストが高い、との批判がある。また、社会起業家、非営利型会社、市民公益活動など、新しいコミュニティサービスの担い手の登場がある。中央集権の下での右肩上がりの成長時代の終焉、一人ひとりが主役となりながら「コミュニティの再生」に動く時代の流れがある。

(公共サービスを変える「地域市民のテスト」を)
 「市場化テスト」は、これまで行政が独占してきた事業を官民の担い手が同じ土俵で競争しようという動きを進めていくものである。しかし、特に地方自治体で地域の公共サービスをよりよくすることを考えていく際には、「市場化テスト」ではとらえきれないものがあるのではないか。
「市場化テスト」においても、マーケットを通じて、消費者の趣向や意向が反映される。しかし、もっと直接的な生活者の参画や選択の仕組みが考えられないか。また、価格面や効率性ばかりでなく、質的側面をより考慮していくものとできないか。
私は、地域の公共サービスについては、「地域市民のテスト」というものが、よりふさわしいのではないかと考える。具体的な枠組みは、以下のとおりである。
・ 地方自治体は、市民税の一定割合を、「地域市民のテスト」枠として、予算に計上する。これは、既存の施策・補助金・委託費等を見直し、既定予算の削減を進めながら行い、例えば、当初は1%とし、2%、3%と増加させていく。
・ 納税者は、自らの納税額の上記の割合の金額について、その使途を選択して決定する。
・ その選択については、「未来への責任投資」として、公債の償還費に充てることもできるものとする。また、選択権を行使しなかった納税者の分については、その眼鏡に適うものがないがゆえに意思表示がなされなかったものとみなして、公債の償還費に充てることとする。なお、その一部を、無作為抽出した市民の意見を聴いて使途を決定するものとして、誰もが、地域の全員の納税の使いみちを考え、参画する機会を確保することも考えられる。
・ 選択の対象となる施策・事業は、行政の各部局から提案されるもの、及び、非営利団体が行う地域社会の利益(「地域益」)を実現、向上する事業とする。
・ 非営利団体の定義については、NPOに限定するのではなく、「事業活動で生じた剰余を関係者に利益分配することなく、「地域益」のために再投資または寄付するとしていること」を判断の基礎とする。
・ この非営利団体及びその事業を認定するために、「地域公共サービス審査会」を設ける。審査会は、地域の市民を中心に構成し、公募した事業を公開された場で審査する。

 このような「地域市民のテスト」の実施は、何が「地域益」にふさわしい施策・事業であるか、喧々諤々の議論が伴う大変なものとなるかもしれない。しかし、その中での一人ひとりの意思表示が、行政への「お任せ」を脱するきっかけとなることを期待したい。そして、行政と社会起業家、非営利型会社、市民公益活動などが、同じ土俵で地域の公共サービスの質を高める創意工夫と競争をする場となればと考える。

(追記:「地域益」への社会的投資を促進するために)
 「地域市民のテスト」は、行政改革を進めるツールであり、また、行政改革の成果を地域に還元する仕組みである。地域の公共サービスの受託を通じて得た剰余を地域で再投資する、「地域のお金で地域を元気にする」仕組みといえる。
さらに、「地域益」への社会的投資を促進するために、「地域公共サービス審査会」の認定を受けた非営利団体への寄付や出資に関して、地方税等の一定の税額控除や所得控除を行うことも次なる検討の対象となろう。
posted by CAC at 02:05| Comment(4) | TrackBack(0) | 市民・NPOと社会起業家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
坂本様のご意見読ませていただきました。

「地域市民のテスト」は住民の主体的な参画を制度として促す素晴らしい仕組みと思いました。しかし実行に移す段階で不透明な点もいくつかあるのではないかと私は考えます。

地域住民をA群、B群に分けて考えたとします。A群は、例えば特定の福祉サービスや特定地域の開発計画等の特殊な要求を持つ人たちで、「地域市民のテスト」制度を活用することの利益が大きい人たちとします。一方でB群は現状の地域経営にある程度満足しているか、不定形な不満があるにしても、「お任せもまた選択」と考えているサイレント・マジョリティとします。

「地域市民のテスト」という政策を実行に移した際、積極的な投票行動に出るのはまずA群の人々であり、B群の人々は投票行動を行うメリットが少ないためそれほど反応しない、という事態が考えられます。

ここで、「地域市民のテスト」で提案された政策が実行される場合、A群の人々の相対的に特殊なニーズに基づいた政策が実行されるため、B群の人々はそれを不満に思うのではないでしょうか(不満には思うけれど、でも投票行動で反対しようというほどの強い不満ではない)。

一方で投票の結果、選択権を行使しなかった人が大多数で(B群の人々が多かった)、提案された政策が実行されなかった場合、予算は公債の償還費に当てられるため、せっかく選択権を行使したのに政策が実行されなかったA群の人々は不満に感じ、参加意欲が冷めてしまうかもしれない。

もちろん、前者の問題については選挙を通じた参画においても同様です。またこの制度は、自分が実行してほしい政策を、自分が投票した候補者が実行してくれるかどうかが不透明な議員選挙よりもずっと明快で、参加意欲が高まる制度であるはずです。

電子投票制度の導入など、投票行動のコストを下げる工夫を加えると制度の実効性がより高まるのではないでしょうか。
Posted by 生田秀 at 2004年10月22日 20:03
坂本様へ

道州制.comの藤井と申します。
素晴らしい提案拝見いたしました。
私は基本的に物事は「現場主義」で行うべきだと考えています。企業間競争のある営業活動も、映画にもなった様に刑事事件も、家庭生活も現場で責任をもって対応しないとままならないと思います。
 しかし、現行政は地方交付金と国庫負担金、地方債を湯水の様に使っています。これは、あきらかに現場の金じゃないという意識から出ていると思います。
 その為、前々から現場主義のいい考えはないかと思っておりました。私たちが提案している道州制システムもそうですが、坂本さん提案のテストは手軽に始められる案として、大変有効かと思います。実施のプロセスを検討してゆきたいですね。
Posted by 藤井秀一(道州制.com) at 2004年11月17日 02:57
Posted by 林 忠男 at 2005年01月15日 14:28
志木市やニセコでの実例により、従来の行政による歳出の配分とどの程度配分に違いがあったのか紹介して欲しい。
 結局住民のエゴ、地域エゴによって配分が決まって仕舞うのではないでしょうか。
 勿論現状も色んなエゴの力関係で決まっているのですから、僅かとはいえ住民の選択で決定することは良いことだともいえますが、過疎地域の人や障害者などの弱者に対する配慮は不可欠です。
 私は、「これが大衆民主主義時代の政治だ」とは未だ割り切れません。
Posted by 林 at 2005年01月15日 14:48
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