2007年05月07日

社会を変える力 ―国際協力の現場から見る「ソーシャル・イノベーション」 ― B  『お金になる木の発見』  岡市 志奈

 ネパールの山村では、良いことも悪いことも一瞬のうちに広がる。新聞やテレビの代わりに、口コミネットワークが非常に発達しているからである。2000年、私たちが訪問した村々では、「アルゲリ」ブームが起こっていた。アルゲリとは、ネパールに自生するジンチョウゲ科の低木で、茎の繊維は紙の原料として利用できる。日本では、枝が三つに分かれていることからミツマタ(三叉)の名で知られ、和紙や紙幣の原料として使われている。今回は、ネパールの山村で吹き荒れたアルゲリ旋風を紹介したい。ある日、製紙会社の人が村にやって来て、村の周辺に自生するアルゲリを加工処理すれば、紙の原料として売れることを教えてくれた。今まであまり利用価値のなかった木が、お金になるというのである。聞けば、アルゲリの収穫時期は11月から3月で、農業を主とする村人にとっては農閑期の収入対策としても打って付けである。もちろん、ナンギ村のプン氏は動いた(プン氏は、前号で紹介した村の子供たちの教育機会を増やすために奔走する社会起業家)。彼の当時の課題は、政府の補助金では間に合わない学校の先生の給与をどう捻出するかにあった。地場産業に発展する可能性のある事業に、彼が動かないはずがない。

早速アルゲリを加工処理する技術を村人に習得してもらい、必要な器械も購入した。掘っ立ての作業所が建てられ、アルゲリの加工処理が始まった。まず、伐り出したアルゲリを木箱で数時間蒸す。ふやけた外皮と茎の芯を丁寧に削ぎ取ると、白いかんぴょうのようなものが残る。これが紙の原料となる(この作業が粗雑で黒くなった外皮が残っていると、質が悪いとして業者に高く買ってもらえない)。最後に流水ですすぎ、竿にかけ乾燥させると出荷できる。

1年目は計142キロを出荷した。業者から品質を認められ、42,600ルピー(約63,900円)の収益を生み出した。大卒公務員の初任給が4,000〜5,000ルピー(約6,000〜7,500円)なので、現金収入の乏しい村に約10人分の公務員初任給をもたらしたことになる。新しい事業の噂は瞬く間に周辺の村に広がり、私たちが訪問した村々でも「アルゲリをやってみたい」という声をたびたび耳にすることになる。

ヒマラヤの山村で暮らす人々は、陸の孤島で生活しているようなものだ。村に来る外部者と言えば、政府役人かNGO関係者ぐらいである。車道の通る麓の小さな町まで行くにも、数時間歩く必要がある。しかし、そのような山村にも近代化の波はどんどん押し寄せている。もちろん、その恩恵は大きい。各村に小学校ができ、子供たちの教育へのアクセスは改善された。多くが無医村であるが、村のヘルスポスト(簡易診療所)には医薬品が保管され、簡単な医療処置ができるようになった。

一方で、貨幣社会が浸透し現金収入が必須となった。村の男たちはグルカ兵(イギリス軍傭兵)となるか、中東やインドに数年単位で出稼ぎに出るようになった。しかし、近代化の影響を受けながらも、村には宗教的な祭りや昔からの歌や踊りが色濃く残る。ネパールの山村は今後、伝統的な生活の中に近代的なものをどのように受け止めていくのだろうか。

アルゲリ事業が始まってから7年が経過し、ナンギ村の掘っ立て作業小屋は、石積みの工場に建て替えられた。工場では、加工処理だけではなく紙の製造も始められた。また、アルゲリの自生林を枯渇させないように、植林も進められている。ナンギ村の事業は、このように地場産業として定着しつつある。しかしながら、他の村でアルゲリが事業化された話はまだ耳にしていない。

事業化が難しい理由として、起業家が育ちにくい、または起業しにくい環境が考えられる。村での生活は自給自足に近い。日々の糧を得るための農作業を差し置いて、成功の可能性が不確かな事業を立ち上げるにはリスクが高すぎる。村には同質の世界観が根付いており、それを打ち破るような革新的な事が起こりにくい。さらに、プン氏ほど強い使命感を持つ人が少ない。生活を良くしたいというのは村人共通の願いだが、それは個人レベルの希望に留まり、誰かがイニシアティブを取り何らかの動きに発展することは少ない。限られた市場へのアクセスも理由として考えられる。商品がモノであるかぎり、市場まで運搬する必要がある。市場へのアクセスが悪いほど運搬費や人件費がかさみ、価格競争で不利になる。

ただし、ナンギ村近隣の村にとって、このような条件が事業化のために全て整う必要はないと思う。なぜなら、ナンギ村のアルゲリ事業は、他の村にアルゲリ旋風を巻き起こすほどセンセーショナルな出来事であり、先行事例として突破口を開いてくれたからだ。今確かなことは、アルゲリ事業がヒマラヤの山村に新しい風を吹き込み、村にいながら現金収入を得る方法として1つの新しい生活スタイルを提示したことである。

追伸:実は、ナンギ村で加工処理された紙の原料は、日本に輸出されている。もしかすると、あなたが使っているその紙、遠くネパールの山奥から運ばれてきたナンギ村の出身かもしれない。
posted by CAC at 13:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ソーシャルイノベーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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