2007年05月07日

 『 地方都市と映画 第1回:映画館編』   児玉 徹(九州大学)

【1】はじめに
 本稿が目指すところは、現代社会における地方都市が抱える課題の 諸相を概観し、その解決策を探ることにある。とはいえ、その抱える課題は多種多様であり、本稿にて全てを網羅的に語りつくすことは、筆者の力量に余るものである。よって本稿では、それら多種多様な課題の中でも、「文化」に関連することに焦点を絞ってみたい。といいながら、さらに、この「文化」自体、(英国の人類学者エドワード・タイラーの有名な定義を持ち出すまでもなく)、ともすれば人間社会におけるあらゆる事象を包含しかねない「ブラックホール」のような代物であり、「地方都市における『文化』に関連した課題」というテーマ設定自体が、取り扱う問題を際限なく広げてしまう危険性を秘めている。
 そこで本稿では、この「文化」の範疇に含まれるものとして一般的に位置付けられている「映画」という創作物に焦点を絞って、「地方都市」と「映画」という2つのキーワードを結び付けることによって見えてくる地域社会の現状と課題、その解決に向けた取組みを、4回シリーズで概観してみたい。 第1回目は「映画館」、第2回目は「映画祭」、第3回目は「フィルム・コミッション」という、それぞれ別個のサブテーマを付して論述し、最終回の第4回目は、「総まとめ編」として位置づけたい。


【2】地方都市が直面する問題
ということで、本稿は、その4回シリーズの第1回目として、地方都市と映画館について語るものであるが、先ずは、4回シリーズの全てに共通する前提である「地方都市が直面する問題」についてごく簡単に触れておきたい。現在、地方都市は、如何なる問題に直面しているのだろうか。

第一に、国土構造の二極化という現象である。これは、人口減少の問題、それから県民所得の格差の2つの観点において、顕著に見ることが出来る。先ず、人口減少の問題。東京都の大都市部では人口が増加する一方、地方都市では人口減少と高齢化の進展が進んでいる。次に、県民所得格差の問題。内閣府が2006年3月に発表した2003年度の県民経済計算によると、一人当たりの県民所得の都道府県の格差が二年連続で拡大している。豊かな県はさらに豊かになり、貧しい県はますます貧しくなっていく。

第二に、中心商店街の空洞化の問題。現在、多くの地方都市では、その文化を支える重要な拠点となるべき中心市街地、特に中心商店街が崩壊しつつある。国土交通省が実施した「全国666都市に対するアンケート調査」によると、中心市街地の衰退が大変深刻である都市が26.3%、深刻である都市が54.9%と、あわせて80%超の都市が中心市街地の空洞化という事態に陥っているという〔長谷川,2007:9−10〕。先に述べた人口減少と相俟って、この直接的要因となっているものが、郊外における大規模商店の進出である(詳しくは【3】を参照)。地方都市の社会資本であるべき中心商店街が崩壊すれば、地域社会のソーシャル・キャピタルが減退し、コミュニティの崩壊へとつながっていく。

第三に、かような状況に対して、地方自治体は、有効な手立てを打ち出せないでいる。この背景には、小泉内閣が着手したいわゆる「三位一体改革」の停滞がある。いうまでもなく「三位一体改革」とは、国から地方への補助金削減、税源委譲、地方交付税の見直しを一体的に進めるものである。しかし実際には、地方交付税、補助金ともに削減される一方で、税源委譲はなかなか進まない、という、地方都市に負担を押し付ける形で推し進められてきた。また、「平成の大合併」によって、2003年4月から2006年4月までの間に1370の市町村が消滅したが、これによって市町村域が広がり、むしろ行政の目の届きにくくなった地域が増加している。

第四に、さらに深刻なことに、全国の多くの地方自治体が財政破綻に陥っていることである。その背景には、それら自治体が、政府の景気対策に沿う形で、大量の公共事業を実施してきたという事実がある。多くの場合において、公共事業の発注費用は地方債で賄うこととなっており、その地方債の償還財源は全て後年度の交付税を上乗せして補填する計画となっていた。しかし蓋を開けると、上述の通り、地方交付税は大幅に削減され、地方自治体は、返済不能の莫大な借金を抱え込むこととなった。そして、住民や観光客に全く利用されず、管理運営費だけをひたすら食いつぶしていく、公共施設が残された。このような地方都市の典型例が、632億円の負債を抱え、財政破綻に陥った、北海道夕張市である。(同市の負債を住民一人当たりに換算すると、およそ486万円にものぼるという。)この財政破綻については、地方自治体の側に非があるのは当然であるが、その温床を築いてきた国にも大いに責任がある。

以上、ざっと見ただけでも、現在、地方都市が抱える問題は、広範かつ非常に根が深いものであることが分かる。一方で、地方都市に対する期待感は、高まるばかりである。「豊かさ」の基準が、金銭的なものから精神的なものへと比重を移しつつあるなかで、人々は、目的達成のための合理性を軸とするゲゼルシャフト関係から、親密な感情や共通の価値観に基づくゲマインシャフト関係への回帰を模索し始めた。今風の言い方をすれば、「スローライフ」的な生活スタイルを重要視するようになったのであり、それを実現する場としての地方都市の存在が、脚光を浴びるようになった。

さらに、このような期待感は、いわゆる2007年問題、すなわち団塊世代の定年問題によって、益々熱を帯びつつある。団塊世代、つまり戦後のベビーブームである1947年から49年の3年間に生まれた人々が、60歳の定年を迎えた2007年から続々と退職し始める。彼らは、企業中心の生活から離れ、自宅を取り巻くコミュニティに、残りの人生の重要部分を託すのである。このような団塊世代のコミュニティに対する期待感は、地方都市においては、なおのこと高いであろう。(昨今の「沖縄移住ブーム」は、このような大きな社会的趨勢から捉えることができる。)

しかし、現況の地方自治体には、このような人々の高い期待に応えつつ、文化的に豊かな社会を実現するための打開策を単独で実施していく体力は、もはや残されていない。確かに、幾つかの地方自治体は、欧米発の「コンパクトシティ論」や「創造都市論(クリエイティブシティ論)」といった概念をもとにした、新しい都市政策を打ち出しつつある。しかし、政府の政策におんぶに抱っこでは、地方都市の再生は覚束ないことは、もはや、誰の目にも明らかである。

そもそも「政策」という概念自体、「政府が政策の『主体』であり、民間部門は政府による政策の『客体』となる」という旧来型の捉え方をしていては、進むべき方向性を見誤ることになる。政府の情報優位性が後退し、政府に情報を集中してもっぱら政府が政策を実施するという社会構造を維持することが困難になった今、重要なのは、「政策」というものを、「政府、企業、NPOの三者の相互作用をもって社会的課題の解決を図ることを目的として計画されたひとつのまとまりを持った対応策」として捉えなおし、抽象的な概念論に終始することなく、「『誰が』『何を』『どのように』なすべきなのか」ということを個別具体的な課題ごとにはっきりと見定め、そして実践していくことであろう。
そのことを、本稿では、地方都市における「映画館」の現状という観点から、考えてみたい。


【3】消えゆく映画館 
ここに1冊の報告書がある。財団法人・国際文化交流推進協会(エース・ジャパン)が2004年3月に発行した「地域における映画上映状況調査:映画上映活動年間2003」と題する報告書が、それである。同報告書には、2003年に日本で公開された映画(短編と成人映画を除く)の合計561本(=邦画220本+洋画341本)が、各都道府県で最も人口の多い都市で、どの程度公開されているのかを調査した結果が掲載されている。その内容が、興味深い。

先ず、公開率が高い都市からみていくと、東京では98%の計548本(=邦画208本+洋画340本)が公開、大阪では76%の計429本(=邦画137本+洋画292本)が公開、名古屋では65%の計364本(=邦画108本+洋画256本)が公開、札幌では61%の計345本(=邦画112本+洋画233本)が公開となっている。

一方で、同公開率が最も低かった都市からみていくと、下関市では5%の計29本(=邦画18本+洋画11本)が公開、鳥取市では9%の計51本(=邦画25本+洋画26本)が公開、いわき市では12%の計68本(=邦画33本+洋画35本)が公開、松江市では14%の計80本(=邦画44本+洋画36本)が公開となっている。つまりは、大都市部における映画作品公開率と地方都市におけるそれとの間には大きな開きがある、ということである。いわば、映画文化に対するアクセシビリティ(accessibility)について、大都市と地方都市では、大きな格差が存在するということである。

このような「格差」が生じた背景には、映画を上映する「映画館」を取り巻く経営環境が、大都市と地方都市とでは大きく違うという事実が存在している。そしてこのような環境の違いは、冒頭で指摘した大都市と地方都市の間の人口格差や所得格差はもとより、地方都市へのシネマコンプレックス(複合映画館:通称「シネコン」)の進出という事実が大きく関係している点に、注目されたい。

シネコンは、ワーナー・マイカル・シネマズ、TOHOシネマズ、ユナイテッド・シネマに代表されるように、大手映画会社や大手商社からの出資を受けて経営されており、安定した興行収入が見込めるハリウッド・メジャー製作の最新映画や、東宝・東映・松竹を中心とした日本の大手映画会社が製作した最新映画の公開を偏重するきらいがある。そしてシネコンは、巨額の宣伝費がかけられ、誰からも受け入れられるような無難かつ画一的な内容をもったこれら「大資本映画」をもって、多くの観客を吸い寄せる。その背後で、必ずしも大衆的なウケを狙った内容ではないが、高い芸術性や社会的テーマ性をもった映画(シネコンはこの手の映画を敬遠する傾向あり)を、館主の独自の才覚をもって上映する街中の既存の映画館が経営困難に陥り、次々と閉鎖に追い込まれていく。

日本経済新聞朝刊の「映画文化守れ 主役は市民」と題する2006年5月20日付の記事によれば、金沢市では、その中心街・香林坊にある「シネマストリート」に、1980年代から90年代まで、10館以上の映画館が軒を連ねていた。しかし、郊外に3つのシネコンが開業したことを背景に、2002年までに、それら10件以上あった映画館の全てが閉鎖した。北海道北見市でも、10館以上あった映画館は全て姿を消し、今はシネコン1館だけが存在する。徳島市では、かつて20館以上の映画館があったが、隣接する町にシネコンが1館開設したことを背景に、今では残る映画館は1館だけになった。高知市では、かつて10館以上の映画館があったが、今ではシネコン1館だけになった。前橋市では、映画館が完全になくなったという。これと似たような現象は、地方都市のそこかしこで見受けられる。

日本映画製作者連盟の統計によれば、2000年待つから2006年までの6年間で、全国のシネコンのスクリーン数は、1,123から2,230へと9割以上増えた。一方で、シネコン以外のスクリーン数は、1,401から832へと4割以上減った。現在、全国のスクリーンの7割以上はシネコンが占める。しかし上述の通り、シネコンが上映する映画は「大資本映画」に偏っており、(かつ複数のシネコンが同時にそのような「大資本映画」を上映する傾向が強いため)、シネコンのスクリーンが増えたことは、そのまま、多種多様な映画の上映機会が増えたことを意味しない。

つまりは、現在、多数の地方都市において、シネコンの進出をひとつの契機に地元映画館が消滅するという現象が顕在化してきており、その帰結として、住民が多種多様な映画文化に接する機会が奪われていっているのである。コミュニティシネマ支援センター(同センターについては【4】を参照)で事務局長を務める岩崎ゆう子氏は、国際文化交流推進協会が2005年3月に発行した「地域における映画上映状況調査:映画上映活動年間2004」と題する報告書において、「地域において、日本映画の古典的名作や映画史上普及の名作といわれるような外国映画をスクリーンでみる機会は全く閉ざされているといっても過言ではない状況である」と記している。

実は、以上のような状況は、地方都市の郊外に開設されたイオン、ジャスコ、ダイエー、イトーヨーカ堂などの大型ショッピングセンターのあおりをうけて、中心市街地の商店街が次々と閉鎖に追い込まれていき、「シャッター通り」化している現状と、よく似ている。大型店舗が新規に出展する際に、地域社会との売り場面積調整を求めていた「大店法」が、2000年に廃止されたことにより、大型店は、希望する規模の店舗を、どこにでも自由に出店できるようになった。その結果、中心市街地から遠く離れたところでの大型店の開設が相次いだ。つまりは、クルマ依存型で土地浪費型の低密度開発である「スプロール型」開発が地方都市で盛んに行われた。その反動で中心市街地は廃れ、「空洞化」していくことになった。まさに、「『大規模かつ画一的な無国籍文化』が『多様かつ個性的な地域文化』を駆逐してしまう」という構図である。(なおこの構図は、国際政治の舞台で取り沙汰されている「グローバリズム」対「文化多様性」の対立構造と通じるものがある。)

このような中心市街地の荒廃を目の前にして、幾つかの地方自治体は、先に触れた「コンパクトシティ論」を基調とした、中心市街地に開発を誘導するためのゾーニング手法や事前審査・協議制などの制度を導入して対応しつつある。しかし、このような行政制度が、単独で問題の全てを解決してくれるわけではない。これら制度をもってシネコンの地方都市への進出を直接的にコントロールするのは、なおのこと困難であろう。
重要なのは、問題に対する住民の「自覚」と「アクション」、それを惹起し主導する「リーダー」の存在、この住民側の活動をサポートする政府、企業、NPOのパートナーシップである。このことは、「消えゆく映画館」問題にも、そのまま当てはまる。

【4】コミュニティシネマ活動
「消えゆく映画館」問題に直面した地方都市の住民が、地元の貴重な「文化発信装置」を復興させるべく、動き出した。それが「コミュニティシネマ活動」である。「コミュニティシネマ」とは、地域における豊かな映画環境を創造することを目指して、地域に根ざした上映活動や上映に関わる事業を展開する映画館のことである。運営形態としては、地元の有志が設立したNPO法人が、住民や地元企業、そして地方自治体からのサポートを受けて、映画館を運営する場合が多い。

例えば、群馬県高崎市の映画館「シネマテークたかさき」。この映画館は、NTT職員の茂木正男氏が設立したNPO法人「たかさきコミュニティシネマ」によって運営されるもので、JR高崎駅近くの商店街にあった6年前に破綻した新潟中央銀行の建物を利用して、2004年末より開業している。都心のミニシアターで公開された若手監督の作品などを2〜3ヶ月遅れで上映し、月に1500人前後の観客を集めている。

埼玉県深谷市の映画館「深谷シネマ」は、NPO法人「シアター・エフ」によって運営されている。JR深谷駅近くの元銀行店舗を改装して2002年に開設。上映作品は、観客の希望を加味して決められ、ミニシアター系から邦画、洋画の名作など、多様なラインナップとなっており、月平均2,500人から3,000人が訪れる。この試みは、商工会議所、市役所、市民団体などで形成される「深谷TMO(Town Management Organization)」の空き店舗活用事業のひとつに位置付けられ、同映画館の設置により、人口十数万人の農村都市で30年ぶりに映画館が誕生することとなった。

川崎市では、2007年秋に、「公設民営」方式の映画館が実現することとなっている。同市は、土地区画整理事業が進む麻生区満福寺の約2,100uに、約200席の演劇ホールと約100席の映像ホールを併せ持つ「アートセンター」を建設予定。施設の維持・管理費と最低限度の経費を市が負担する一方で、指定管理者制度を導入して、管理運営は民間の組織に委ねる方針である。

このような「公設民営」方式によるコミュニティシネマの開設は、金沢市においても推進されている。同市中心街の香林坊に開設されたミニシアター「シネモンド」の支配人である土肥悦子氏は、2003年に、竪町商店街、金沢21世紀美術館、金沢インディーズ映画祭などを構成メンバーに加えて「金沢コミュニティシネマ推進協議会」を設立。土肥氏は、同団体の活動を通して、通常の映画上映や児童を対象とした映画教育を展開する一方で、「公設民営」の映画館開設を同市に要請し、2006年4月にはこの案に賛同する14,000人分の署名を提出した。

 以上のような各地方都市で展開されるコミュニティシネマ設立に向けた動きをサポートするために、上述の財団法人・国際文化交流推進協会(エース・ジャパン)は、2004年より「コミュニティシネマ支援センター」の活動を始めた。同協会は、実は、外務省認可の公益法人。同センターは、コミュニティシネマの設立・運営やそのネットワーク活動を支援することを主な目的としており、コミュニティシネマでの上映に提供できるフィルムライブラリーの経営や、「コミュニティシネマ・ネットワーク会議」の開催支援などを行っている。同センターには、現在までに、日本全国の180の団体が加盟している。2005年には、日本映画の巨匠・成瀬巳喜男監督の生誕100周年事業として、東宝や松竹と折衝して同監督の作品を提供してもらい、廉価で、大阪、神戸、岡山、金沢、仙台、札幌などの加盟団体に貸し出した。

 以上、コミュニティシネマ活動に係る実施例を幾つか紹介してきたが、確かに、川崎市市民ミュージアムの川村健一郎氏が上述の「地域における映画上映状況調査:映画上映活動年間2004」と題する報告書において記しているように(「美術館・博物館における映画上映の現状」)、地方都市における映画文化へのアクセシビリティの確保という観点からは、既存の美術館・博物館にも、「映画館」としての機能を果たすことを期待したいところである。(同氏は、そのような機能を果たしている美術館・博物館の例として、北海道立近代美術館、兵庫県立近代美術館、宮城県美術館、名古屋市美術館、愛知芸術文化センター、横浜美術館、高知県立美術館、国立民族学博物館、世田谷文学館、金沢21世紀美術館、神奈川近代文学館、東京都写真美術館、川崎市市民ミュージアム、京都文化博物館について触れている。)しかし、冒頭で述べたとおりに地方自治体の財政が逼迫する状況下においては、これら既存の美術館・博物館の「映画館」としての機能にも自ずと限界があることは否定できず、その意味からも、住民主導のコミュニティシネマ活動の意義は、特に文化的な町づくりの観点から、非常に大きいものがある。


【5】おわりに
 さて、これまで、「消えゆく映画館」問題に着目しながら、地方都市が抱える複雑な問題の一端を垣間見つつ、その解決に向けたコミュニティシネマ活動の実例を簡単に見てきた。コミュニティシネマ活動は、ここにきて全国的な広がりを見せつつある。しかしその前途には、一般的なNPOが抱える経営上の問題(経営ノウハウの不足、ファンドレイジングの困難性、下請化問題など)や、地方自治体の体力のなさ・意識の低さなど、様々な困難が待ち受けていよう。よって、この文化振興活動が、今後、持続可能性を担保し続けるためには、関連するアクターがそれぞれ連携し合いながら、これを支えていくことが肝要である。

つまり、@「消えゆく映画館」問題に対する住民の自覚とアクション、Aそれを惹起し主導するリーダー(いわゆる「社会起業家」の素質を備えた人物)の存在(@とAは相互に創発しあわなければならない)、Bコミュニティシネマの設立・運営をNPO支援条例・指針などを活用しながら金銭的又は非金銭的に支援する地方自治体の存在、Cコミュニティシネマの設立・運営をCSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)の一環として、寄付金の附与や遊休施設の無償提供等の形でサポートする地元企業の存在、Dコミュニティシネマ支援センターのような地域横断的な支援組織の存在、E同センターを「仲介組織=インタミディアリ」として利用しながら、コミュニティシネマの設立・運営をCSRの一環としてサポートする大手映画会社の存在、F大学や学校等の地元教育機関による、住民の映画文化に対する享受能力の向上を目的とした教育プログラムの実践、といった複数の要素がうまく連携しあうことが、コミュニティシネマ活動の維持・活性化には、欠かせないものとなってくる。

まさに、関連する全ての政策主体の「パートナーシップ」なくしては、地方都市が抱える問題は解決できないということである。(なお、このような文化政策的視座における「パートナーシップ」の重要性については、4回シリーズの最終回である「総まとめ編」において、より詳しく述べたいと思う。)
さて、映画好きのあなた、あなたの住む町に、あなたの観たい映画を上映してくれる映画館はありますか。もしないのなら、コミュニティシネマを立ち上げてみませんか。


《参考文献》

1. 岡部光明,2005a,「総合政策学の確立に向けて(1):伝統的「政策」から社会プログラムへ」,『総合政策学ワーキングペーパーシリーズ No,76』,慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科.

2. 岡部光明,2005b,「総合政策学の確立に向けて(2):伝統的「政策」から社会プログラムへ」,『総合政策学ワーキングペーパーシリーズ No,76』,慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科.

3. 長谷川徳之助・川口和英・福本泰・沓掛和男,2007,「都市政策の基本は『安全』『安心』 −『遷都論』を考える−」,東京教育情報センター.

4. 長谷川徳之助,2007,「衰退し続ける『地方都市再生の道』を探る」,東京教育情報センター.

5. 本間義人,2007,「地域再生の条件」,岩波書店.

6. 丸田一,2007,「ウェブが創る新しい郷土 −地域情報化のすすめ−」,講談社.

7. 矢作弘,2006,「大型店とまちづくり」,岩波書店.

8. 山口義行,2006,「山口義行の“コレが言いたい”/第8回:夕張市だけじゃない!地方自治体の財政危機」(http://www.media-kiss.com/yamaguchi/content/koregaiitai/08.html)

9. 財団法人国際文化交流推進協会,2004,「地域における映画上映状況調査:映画上映活動年鑑2003」

10. 財団法人国際文化交流推進協会,2005,「地域における映画上映状況調査:映画上映活動年鑑2004」

11. 北陸中日新聞2006年6月11日朝刊記事
12. 日本経済新聞2006年5月20日付朝刊記事
13. 中日新聞2006年2月3日付夕刊記事
14. 朝日新聞2005年7月22日付夕刊記事

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