2004年07月25日

こんなNPOって、あり?

@存在定着の陰に
澤村 明

 ジャン=フランソワ・リオタール式にいえば「大きな物語」の終焉、あるいはフランシス・フクヤマ式の「歴史の終わり」でも良い。ポストモダン思想の広がり、あるいは冷戦の終了によって、共産主義とか進歩礼賛といった普遍的価値観を前提とする「思想」によって社会が変革するという時代は終わったとされている。しかしこの21世紀が、社会が変化しない「新たな中世」、あるいは古典派経済学者が夢見たようなステーショナリー・ステート(静止・均衡状態)に至ったとは、誰も思っていないだろう。

 むしろ、社会の変革・改良は、個人あるいは市民グループのさまざまな起業に委ねられる時代になったのではないか、と私は見ている。そうした動きには、世界の平和や差別などの解消を目指す国際的な市民の連帯が注目されやすいが、私個人の関心はそうした市民版「大きな物語」ではなく、身の回りの矛盾の解消や地域の問題の解決を目指すような動きにある。社会のさまざまな問題に対し、広く捉える動きも大事であろうが、小さなところから始め、連携していくことによる変革もまた大切ではないだろうか。社会にとって、漢方のようにじわじわと効いていくかもしれないではないか。

 社会起業家、コミュニティビジネス、NPO――その「かたち」によって呼びかたが変わるにせよ、そこに共通するのは「業として、世の中を良くしたい」という思いだろう。「ソーシャル・イノベーション」という呼称がそれにふさわしいのか、また日本で定着するかについては、疑問としないでもない。そうした市民からの動きを受け止め、そこから見出されるものを整理分析して再発信することで、より良い未来が近づくことに資することができれば幸いである。

 NPO法が成立して5年以上が過ぎ、日本でもNPOという存在が定着しつつある、といって良いだろう。しかし定着するということは、その影の部分も見えてくるようになったということではないだろうか。法令体系や税制といった制度面での課題もさることながら、当初考えられていたような「ボランティア活動をはじめとする市民が行う自由な社会貢献活動」(特定非営利活動促進法第一条)といえるのか、というNPOも散見されるようになった。屎尿を集めて下水に不法投棄したり、補助金の不正受給や恐喝といった明らかな不正もあれば、テレクラにいそしんでいたり、文学賞を出すと称して審査料を集めながら「該当者なし」という、「こんなの、あり?」というNPOの話題が新聞などで報道されている。

 そのような「変なNPO」をどう捉えるべきだろうか。「どんな法人形態だって悪質な組織がある」と消極的に必要悪と考えることもできよう。NPOが「市民の社会貢献活動」以外にも広がったのだと前向きに受け止める……という皮肉な見かたも可能かもしれない。しかしそうしたNPOがクローズアップされるために、真っ当なNPOがとばっちりを受けることも考えられよう。

 監督官庁である内閣府もさすがに腰をあげ,2002年度からは特に悪質なNPOに対して、聴聞を行ったり、改善命令を出すようになってきた。が、そうした監督官庁に取り締まりを任せるだけでは、自立した市民セクターとはいいがたいのではないだろうか。NPO業界(というものが存在するのかという議論もあるが)自身の手で、何らかの対策を考えなくても良いのか。

 本稿ではまず、主として新聞報道などに現れてきたNPOの不法・不正行動、あるいは特定非営利活動法人という法人格を悪用しているのではないか、という詐欺的ビジネスをいくつか紹介する。その後、欧米での調査報告や他の業界での事例などを見ながら、「何らかの対策」が可能であるか、その検討に向けて考えていきたい。

posted by CAC at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 市民・NPOと社会起業家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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