2006年01月09日

<Vol.6 新年号>「地味なセレブ女優」の死

大西たまき

「カウンターパート・インターナショナル」(Counterpart International)というアメリカのNGOをご存じだろうか。アナン国連事務総長の長年にわたるタスクフォース事務局長であり、全米NGO連盟機関インターアクションの理事でもあるレラリュー氏のリーダーシップの下、25以上の海外オフィス、300人以上のスタッフを抱え、南太平洋やカリブ諸国、アフリカ、イラク、アジア、旧ソ連等60余カ国にて救援活動を展開している団体である。
マイクロクレジットや職業訓練等により対象国市民の経済・社会的自立を目指すカウンターパートの特徴は、パートナーシップを重んじるところにある。違う文化や社会の人をパートナーとして結びつけるという理念は、他の国からの旅行者と旅行先の市民が出会う「ツーリズム」に結びつき、それにより収入の活路を見出すという企画につながった。環境保全や地域市民社会の発展にも慎重に配慮し、持続的社会の構築を目指すカウンターパートのツーリズム開発モデルは高く評価され、他の団体にも応用されている。
しかし、今回このコラムでカウンターパートを取り上げたのは、その活動を紹介するためではない。40年以上前にこの団体を友人と立ち上げたエリザベス“ベティ”・ブライヤント・シルバースタインがこの10月に亡くなったためだ。1940年台初頭、弱冠20歳でオーストラリアのトップ女優となり、米国最大手の映画製作・配給会社MGMインターナショナル社長、モーリス・シルバースタインの夫人となった人である。その名声や富に甘んじる事なく、セレブリティから社会起業家へと手探りで活動を始めたその生き様は、もっと世間に評価されても良いだろう。
ベティ・ブライヤントは、単に寄付や親善大使という範囲を超え、貧しい人々に職業の機会を提供するNPO「南太平洋の人々への財団」(The Foundation for the Peoples of the South Pacific=FSP、カウンターパートの前身)を作り、トップ女優のキャリアも惜しみなく捨ててしまった。当時住んでいたニューヨークの富豪仲間たちから支援を募るに留まらず、故郷オーストラリア、カナダ、英国、ベルギー、ドイツなど各国を訪問、資金ほか各種援助を仰ぐと共に、政府関係者から財界人等に積極的に会談、提案を続けた。その業績は医療、教育、農地問題の打開策提案、マイクロ・ビジネスの支援プログラム立ち上げ、学生や地域の若手リーダーの留学・奨学制度など多岐にわたる。
同時に夫やその会社を通じて、貧しい人々への職業訓練、映画の上映にてFSPの広報、オフィス・スペースの無料貸与など総合的支援を目指した。カーネギー・ホール内にスリフト・ショップ(中古品特価販売店)を設立し、古着や中古家具の販売収益を寄付にまわす工夫も発案した。
華やかな芸能界の名声から一切身を引き、NGOの経営者であると共にシアトルで家族との生活を楽しんだベティ・ブライヤント。まさに“地味なセレブ女優”の社会起業家としてのダイナミックな人生を終えた現在、安らかに眠られることを願う。
posted by CAC at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ソーシャルイノベーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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